2013年08月04日

地震や津波にご利益あり!! 岩屋観音

岩屋緑地公園に隣接する 岩屋観音を調べてみました。

伝承によれば天平2年(730年)に、全国を行脚する行基が1尺1寸の木造の千手観音を彫り岩穴に祀ったと言う。これが大岩寺の境外仏堂岩屋観音の始まりであり、岩屋観音の1坊であった大岩寺の起源とされる。
天正13年(1585年)、岩屋山が炎上し、観音堂以下、寺は衰退した。
天正18年(1590年)、天下人関白豊臣秀吉により神君関八州移封となり、東三河に池田照政(後の輝政)が封じられた。三河国吉田城(同県同市今橋町)主となった照政は岩屋観音を信心していたと伝わる。池田家は徳川家康と石田三成との争いの中での戦功(岐阜城攻め)などにより播磨国姫路城、備前国岡山城と移り、日本三名園と謳われる後楽園を造った曾孫の池田綱政の時代となる。宝永4年(1707年)旧暦10月、いわゆる宝永地震が発生する直前、東海道五十三次のひとつ遠江国白須賀宿(静岡県湖西市)に泊まった綱政の夢枕に 観世音菩薩が現れ今後起きる地震や津波の難を告げたと言う。綱政一行は急ぎ、海道を西に上り、三河国二川宿へ入った。マグニチュード8.4とも推定される大地震が起こり、東海から九州にかけて大津波が襲い白須賀宿は南から来た海水の前に飲み込まれて壊滅した。命拾いをした綱政は観音の冥加と考え、岩屋観音に帰依した。

綱政が寄進した絵馬、灯籠などの品は豊橋市指定有形文化財となっている。


そういえば、2,3日前に愛知県と静岡県西部に地震があったばかりでした。
人間の力では、どうすることもできないこれらの天災を回避するには、日々の信心も必要なのかもしれませんね。

  


Posted by オーナー at 19:42Comments(2)ツアー後記